白詰草の花冠

過去の文章を残そうと思いました。全部過去になるからね。

自分の感性を信じている、これはひとりごとにも似た記録

10月6日、初めて自主企画をしたことについて書こうと思ったが、なんか既にダルくなってきてしまった。ほとんどのことはツイッターにちまちま書いたのでまぁええかという気もしている。けど、ぼちぼち書きますわ…生存報告の意味も兼ねて。(そう、このブログはまだ死んでいないのだ)

 

集客、不安すぎたけど、一番丁度いい来場者数だった。

招待除いて22名。出演者・招待含めて約30名。場所は名古屋市吹上にある鑪ら場。めっちゃいい場所だし、店主?がめっちゃいいバンドをやっているのが最高。そういえば、大好きな金山ブラジルコーヒーも店主がめっちゃいいバンドやってんな。共通点みつけてまった。

 

tataraba-live.com

liverary-mag.com

好きな3人に来てもらったので、なんとしてでも集客をしたかった。知らない人もいっぱい来てくれるイベントがいいイベントだって思っていたけど、今回やってみて思ったのは、私が想定するイベントはその限りではない、ということだった。というのも、収益をあげたいとか、呼んだ人のネームバリューで集客したいとか、そういうわけではなかったから。まだ知らない好きなもの(というと語弊があるが…)に気付いて(?)ほしい、というのがあって。

 

ツイッターとかで、人が紹介している音楽きいてみたりして、自分が知らなかった好きな音楽に出会ったりすることあるのですが、それがなかったら自分はそれに出会わなかったわけで…でもツイッターで紹介されている音楽クリックして聞くのってたぶんハードル高いんですよね。だから、なんか、そういうのしたいなって。それって、私を知らない人、が来るよりも、出演者を知らない人、が来るの方がマッチしているわけじゃないですか。私のこと好きな人たちが来て、他の出演者好きになってくれたら大成功じゃん?だから、蓋をあけてみたら、えっめっちゃ成功じゃんっていう…

 

▼このお二人がツイートする音楽、よくクリックしちゃう…そういう人に、私もなりたい… 

twitter.com

twitter.com

 

ツイッターとか諸々で何度も言ってしまうけど、ドッグフード買い太郎さんがCDがめっちゃ売れたって言ってたのがめちゃめちゃ嬉しくて。その時に、あ~~そいういうことか~~と思ったんすよね。好きなものに気付いてほしい、そんでちょっといい感じになってほしいって。そいういう意味ではみおちゃんの音源がなかったのはちょっと残念だけど、すごく気に入ってくれた人がたくさんいて、みおちゃんのライブ情報で「おっ!」て嬉しくなる人が増えたんやなと思うともう……

▼以下、ツイッターにまとめたライブの様子です

 

 

物販とかCDとかやっぱ売れて欲しいので、購入者にはなんかイベントとして特典を用意したりしたいな~などと思った。購入、悩むやん、しかもだいたい出演者本人から購入する、嬉しくもあるが恥ずかしいやんな…それを後押しできたらいいなと…特典という概念がそこにマッチするのかは謎だし、魅力的な特典を用意するには…それ相応のコストが必要…悩みどころではある。書きながら思ったけど、CDプレーヤー持っていって視聴とかできたら楽しいな。自分は知らんで買うのが楽しくもあるんすけど…

 

物販、といえばツイッターで出会った おしこまん△ が制作したリトルプレス「 osicomagazine vol.2 」 を物販に置かせてもらった。というのも、今回の企画イベントタイトル『 地層と記憶 』と osicomagazine vol.2 のテーマ「 日記 」 が繋がっていると思ったから。自分が企画を考えていた時期に、あちらの企画が進んでいっているのを見ていた、という不思議なタイミングも手伝っている。記憶というのは地層のように積み重なっていって、変形したり、歪んだりしていく。その元であり、その先にあるものが私たちの日々 = 日記 なのでは?と。その点の説明は、企画内で少し触れることができたが、ライブなどのパフォーマンスではない ” リトルプレス ” その魅力を伝えるには、何か別のアプローチを考える必要があったなと思った。(そもそもテンパって紹介も全然なってなかったので、 おしこまん△ &来場者の皆さんに申し訳なかった…陳謝)

 

私がライブ出演者の紹介を最初にしたとき、その音楽がどんなものか?ということは一切説明してなかったと思う。でも、その紹介をフックにして少し興味を持ってもらった状態(少し距離が近づいた状態?だといいな?)でライブを見てもらって、CDを手にしてもらう、という流れがとれたけど、リトルプレスの場合、当たり前だけどライブがないんですよね…

ライブで何か感じて、またこの感じ欲しいなとか覚えていたいなとか知りたいなとか思うからCDを購入すると思うんすよね。知らんけど…

だからこの場合のライブって何かというと、 ” 何か感じる ” その疑似体験?をしてもらうこと、かな~と思ったんすよね。そのためには、私がどう感じたか?と何を得たか?を伝えることがたぶんてっとり早くて、これは私が用意していたイベント冊子にも同じことが言えると思う。あれもあんまり手にとってもらえてなかったんすよね。残念…

どちらも次回イベント時にもまた置かせてもらえたらな…と思っているので、次回は是非みんなに読んでもらえるようにしたいな…

osicomagazine vol.2 に関しては、ネット通販もしていて、販売から1ヵ月ほどでもう100冊くらい売れている(やば…)らしいので、次回イベント時にまだ在庫があれば…ということにはなるのですが…(売れて欲しいが、イベントで置かせてほしい、つまり早く次回イベントを設定するしかない…)

osico.me

特設サイトから、まえがきが読めるので、まずはそれだけでも読んでみて欲しい。色んな人の同じ日の日記がまとめられているというのはちょっと不思議な感覚がする。同じ日に同じ時間に、存在していて、それぞれに生活していること、それって、普通のことなんすけど、ネットのブログではちょっと感じられづらい感覚でもあると思うんすよね。そこに、この1冊のリトルプレスにまとめられた1つの価値があると思うんすけど…。日記だけじゃなくて、短歌や日記についての日記や、継続するということについてとか色々載っているのも、その背景?みたいなものが見えてきてより面白いというか…どう感じるかは読んでみて、だからやっぱり会場でサンプル読んで欲しかった…

ちなみにこの表紙や中のデザインなどはかずおさんという方が担当されていて、自分がめっちゃ好きなPVの作者だったんですよね…やばいめぐり合わせ…デザイン含めてクオリティ高いな~~と感心しきり…(イベントに置かせて欲しいと話したのは、発売前だったので、テーマが日記であること以外なにも知らなかったのですが、おしこまん△き企画ならええやつやろという感じがあったし実際そうだった…)

ちょっと長くなってきちゃったんで、また書きたくなったら別途書きますね…

 

話変わりますが、自分が出演することで集客するのって、一定の効果があるし、確実な手ではあるんですけど、まぁしんどいんすよね。かといって、私は独占欲が強いので(?)あんまり企画・運営を他の人に任せたりはしたくない。しながら思いつくこともたくさんあるし、それが楽しいし…まだ今はその楽しさを人と分け合えるところまできていない。難儀な性格だし、ここが弱点という自覚もあるが、もう少し無理させてほしい…で、自分が出演するとなると、持ち歌などがあるわけではなく、都度新作の何かをやっているし、再演するにしても結構稽古時間が必要で…ってなると、自分が出演しないでいかに集客する方法があるのか?というの、結構課題ですよね。

 

何度か繰り返して、自分の企画するイベントそのものが面白いものだと認知されて、イベント名だけで来てくれる人がじわじわ増えていったらそれが一番最高だなって思うんだけど…それをやるには、頻度が必要で、かつ毎回毎回が最高のブッキングである必要があって。一回だけだったら誰でもとは言わないけど、できると思うんですよ、最高のブッキング。それを続けることが大変で、俺は途方に暮れてしまうわけです…きっと今のままでやってってもどっかで倒れちゃうし、ネタ切れになっちゃうんだよな。

と、一回イベントをやってみて色々考えましたって話でした。

 

朗読しながら泣いたりもしていたけど、「青草原はない」でなぜかめちゃめちゃ救われたような気になって泣いちゃったな。すげーよかった、CD買わなきゃ…(買えなかった…)書きすぎたけど、いったんこのお話は終わり。またやるから皆よろしくね。

ここにあるのが本当の私だなんて思わないでね。(と、未来の私に向けて注釈をつける)

最近の私はといえば、何しているんだろうな

楽しいこともあるし、新しいことも起こる、

つつがなく毎日を過ごしている。

でもやっぱり『責任』のことが大嫌いで…

自分の人生、自分が背負うしかなのに、

他人に任せてたまるかよと思うくせに、

とにかく何かしらを保留したがっている

 

何かしらというか、すべてだ

全てを保留にしている間に

何も決めないまま、成し遂げられないまま

人生消費していってしまうのかなって

ちょっと不安に思ってしまったりする。

 

でも楽しいこともやりたいこともある。

責任を負わなくていい範囲で楽しみたい。

でもそんなズルはたぶん成立しなくって

楽しいことを本当に自分でやりたいなら、

そこに人を巻き込むなら、

その人たちにも何かしらあってほしいですよね。

楽しいことやりたいなら責任とるべき、

とかは思わないんですけど、でも、

楽しいことやろうと思うと、

どうしてもついてきちゃうよね、責任

 

その責任もうまいこと乗りこなして、

私はずっと楽しいことを忘れずに、

たくさん生きて、いつか死にたいな。

 

特に精査せずに、書いているので実際に思っていることと少し齟齬があるかもしれないけど、ここはフィクションも許される場所だと思っているので、ここにあるのが本当の私だなんて思わないでね。(と、未来の私に向けて注釈をつける)

写真を撮ってくれ

知り合いの男の子に「写真を撮ってほしい」と頼まれたことがあった。

彼の要望で、初回は丘の上にある公園で撮影をした。

f:id:mimizu_without:20190423012259j:plain

丘の上にある公園で撮った写真

なぜか交通費が支給されたし、ちょっとしたお給料もでた。カメラについて詳しいわけではなかったし、技術があるわけでもなかったので、支給される金銭に対してちょっとした罪悪感もあったが、そのことは事前によくよく伝えたし、まぁいっかと受け取った。これは誠実さに欠けるだろうか?

f:id:mimizu_without:20190423134154j:plain

前ボケ好きなんだけど、奥の自転車屋の主張が激しい


他愛もない会話をしながら写真を撮った。私は写真が上手ではないので、撮るぞと思った日はとりあえず量を撮る。この日は375回シャッターを切った。

f:id:mimizu_without:20190423134411j:plain

ここにも実は自転車が入り込んでる

 

変な意味ではなく、私のことを気に入ってくれていたんだと思う。そういう妙な信頼を得ることが多い傾向にある。結局そのことが負担になって疎遠になってしまうことも多いのだけど…(例に漏れず彼も疎遠になっている) 

f:id:mimizu_without:20190423134635j:plain

撮影はだらだらと夜まで続いた

気に入った人に写真を撮ってもらいたいという気持を最近知った。人が撮った自分の写真が妙に良くて、また撮ってほしいなと思ったのだ。で、あの子もそういう気持ちだったのかなと。

2回目は海で撮ってほしい、と言われて新舞子までいった。ちょっとした旅行みたいだった。

赤い傘を写真に入れたいから、という要望で、道中ハンズに立ち寄る。しかしながら、赤い傘は見つからない。3件くらいはしごして1本もみつからなかった。そこらへんにあるやろと思っていても、ないものがあることを知った。

f:id:mimizu_without:20190423133432j:plain

白地にかわいい柄の傘

この日は、赤い傘がなかったため、私が来ていた赤いワンピースをそのまま脱いで貸した。なんとなくまとめたい気分なので、これはまた今度まとめようと思います。

 追記:数か月たったが、また今後という気持ちは一切合切なくなってしまった…

韓国ドラマはつらい

韓国ドラマをみるのが辛い。

正確には、韓国ドラマを母がみているのがつらい。

この気持ちがなんなのか、ついさっき分かった。

 

かわいそうな人(便宜的にそう記す)たちのことを、

母がバカにして面白そうに笑うからだ。

 

そのことが、私は、とても悲しい。

 

自分の悪癖に気付かず、人の害悪となっている人物が

韓国ドラマにはよくでてくる。

 

その人たちに対して嫌悪感を抱くし、

なんでそんなことするの…と理解しがたい気持ちにもなる。

 

でも、その人たちが辛いめにあったり

人から見放されたりすることも同じくらい辛いのだ。

 

だって、その人は、知らないのだ。自分のあかんところを。

なんで、そうなってしまうのか、何も知らない。

 

もしくは、やり方は間違っていても、いつも必死で、

必死すぎて何も見えてなくて、

こんなに頑張っているのにどうして自分は報われないんだろうって

気が狂いそうなほど泣いて叫んでもがいている。

 

それを、母親が「ざまぁみろ」と楽しそうに笑う。

そのことがつらいのだ。

 

知らない人も、みんな元気でいて欲しい。

知らない人も、みんな元気でいて欲しい。

夢にみる、ということ

私はよく、夢をみます。眠るときの夢のことです。怖い夢でも悲しい夢でも楽しい夢でも、夢をみるのは楽しいことです。
だけど困ったことがひとつあって、それは現実には起こっていない出来事の記憶や感覚が蓄積されていくということです。

夢の中でしか会えない人がいます。これは、亡くなってしまった人などではなく、現実には存在しない人です。そういう人は何人かいて、でも、現実まで干渉してくるくらい私の中で一人の人物として認識されたのはたぶん一人だけでした。
夢をみないと会えないし、夢をみたところで必ず会えるわけでもなく、彼のいる世界線の夢にアクセスできなければ姿をみることもできない。
だけどどうやら彼は夢から少し外れてしまったようで、夢と現実の間、うとうとしているとき、現実の景色に重なるようにあらわれるようになりました。
会えなくて寂しい、こちらから連絡をとることもできない、次に会う約束もできない。この関係性にはそういう困りごとがあります。
とはいえ、これは対して困ることでもないのです。

それよりも困るのは、現実の知人が夢にでてくることです。夢の中で知人に会って、色んな体験をします。だけどその体験を持っているのは私だけで、私の中でだけ、知人との関係が進んでしまいます。
現実に起こった出来事ではないことは認識しています。だけど、体に残った感覚や感情はなかなかもとに戻すことが難しい。
相手に対する感覚や感情は粘土のようなもので、何かの影響を受けて変わってしまった形を指定の影響を受ける前の状態に戻すことはできない。そういうことなんだと思います。
夢に見る前、私と知人の関係はどうであったか?それを覚えていたとしても、私の持っている粘土はもう形を変えてしまっているので、戻そうにも無理が生じてしまいます。

ため息がでちゃうな。
初めてスマホで記事を書きました。

【 追記しました 】東京って意外と自然が多いんですね。

楽しかった、東京での1日のことを振り返りたい。前々から行きたいな、と思いながら特に計画もしていなかった東京。休日前夜ゆるく思い立ち、東京へ行ったら会ってみたいと思っていた人に連絡をとってみたら、なんとOKで(無理矢理OKにしたような節もある)、それで完全に心が決まり、かねてより望んでいた東京行きを決めたのだった。

 

朝、お仕事の日よりも少し早起きして車で駅へ向かう。お気に入りの胡粉ネイルを塗って出かけたいと思っていたのに、また忘れてしまった。めっちゃ楽しみなお出かけの時はいつもネイルもキメていきたい、と思うのに、いつもはしない化粧や何やらをしているとそれだけでタイムアップしてまう。日々の日課をコツコツ増やしていきたいという気持ちはあるが、それよりも「もう少し寝たい」「ゆっくり動きたい」の欲が勝ってしまうし、今はそれを否定できない。

 

ギリギリだったが、なんとか約束の時間に間に合う新幹線に乗ることができた。久しぶりの新幹線に胸が躍った。新幹線だけでだいぶ満足してしまった。もし約束が果たせなかったとしても、これからいく場所がどうしようもなくしょうもなかったとしても、新幹線乗れたからからいっかと思えるくらい。だけど、私が望んで会いに行く人、場所がしょうもなかったことなんて一度もない。これは自慢だ。

 

新幹線が東京駅につく。東京駅、広い。ついたぞ~!と思ったけど、全然ついてない!というのが東京駅。わからん…と思いながらなんとなく人の流れに沿って歩いていく。とりあえずどっかの改札にいきゃなんとかなるだろという軽い気持ちで。実際なんとかなった。自分は土地のこと知らなくても、相手は知っている(たぶん)。

 

そんなこんなで、待ち合わせに成功。初対面であることはもちろん、正直ネット上でもあまり言葉は交わしていなかった(と思う)。にも関わらず、普通に話せてしまってさすがコミュ強…と思った(かどうかはさだかではない)。会ってからどうするかなどはちゃんと決めていなかった。どこか腰を据えて話すというよりもこの人と時間を共有するなら散歩がいいなとは思っていた。写真を撮りながら、散歩をする。ゆったりした気分で気持ち良く散歩をした。慣れない土地になんとなく落ち着かない気持ちもあって、でも、その落ち着かなさがかえって私を自由に振舞わせたような気もする。そこらにある植物の手触りなど、気になる感覚をいつも以上に好き放題確かめられた。もう少し匂いも感じたかったなと思ったが、受け取りたい情報が多すぎて、匂いにまではまったく気がいかなかった。一瞬、池か何かを見ようとして相手と距離が近づいた時、どんな匂いがするか知りたいと思ったりなどしたこともあったな。つい自分で自分を縛りがちな癖があるが、この日は1日通して変な演技をしなくて済んだなという振り返り。一緒に散歩をしてくれた人に対しては、距離感が上手な人だなと思った。丁度いい、継続できる距離感を作れる人だなと。この時ばかりは「さすがコミュ強…」と明確に思った。私はだいだい距離感や関係性を誤ってしまいがちなので、上手な友達のことを本当にありがたいと感じる。相手が作ってくれたものに、十分に納得して、安心する。これが正しい人とのあり方なのかは分からない。でもこんな風に明確に感じたのは初めてかもしれない。初めてではなかったとしても、そう多くはない。最後は文通をしようということになって、別れた。文通友達が増えたことが嬉しかった。なぜ手紙が好きかということについてはまた改めて書きたい。(これ別の記事でも言ってた?)

 

お昼。時々寂しくなったときにペリスコで好きな音楽をだらだら流す配信をしているのですが、そこで知り合った人、あおくんと渋谷で会う。渋谷駅も広かった…。配信では私が喋り、あおくんは文字で相槌をうってくれたり、話していることに対してコメントをくれたりする。寂しい夜には、それがとても救いだったりする。自分のさみしさくらい、自分でなんとかせぇやという気もするのだけれど…。会ってみたら、想像通りの優しそうな人で、やっぱり安心した。私は配信で自分のこともよくしゃべるけれど、あおくんのことは実は全然知らなくて、それでもいいと思っていた。でも実際会って話してみたら、話してくれるエピソードが人柄含めてとても面白くて、こんなに話してくれる人なんだ!と意外な展開にもとても嬉しくなった。ご飯を食べ終わって、ドローンを譲り受ける。butaji さんの MV をみて、空撮に憧れを抱いていた。頑張って、いい写真撮るね。

その後、行きたいイベントの場所とか、コインロッカーとか、色々何から何まで教えてもらって、東京にも、うちができたような気持ちに近い、そういう不思議な気持ちになった。また東京にきたら、ゆっくりご飯食べようねって話をして別れた。

 

その後、DJイベント(?)ウニクレソンが開催されている頭バーに行く。(方向音痴なので、地図を頼りにあおくんに案内してもらった…ありがとう…)

今回、日時が設定されているものはウニクレソンだけで、このために組まれた日程だといって過言ではない。つまり今回のメインである。まぁ全部メインなんですけど…。正直、イベントの詳細は良く知らなかった。それでも行こうと思った理由は2つあって、DJイベントそのものに強い興味があるということ、配信ではじめてみたDJのおかださんが参加しているということだった。

実はDJというと、私の中では昭和歌謡のイメージが強くて、というのもおかださんが昭和歌謡をレコードで流しまくる配信をしていたからで、それがすごくよかったからで。仕事終わり、電車に乗っているときなんかに配信やっていると、わ~いって思ったりした。初めて生でみたDJはわきさんで、私が思うDJ像というのは主にこの2人で構成されているし、DJ面白い!って思ったのもこの2人だったからなんじゃないでしょうか。知らんけど………(恥ずかしい)

DJの良し悪しはよく分からないんだけど…何度かクラブに行ってみたり、DJのあるライブに行ったり、年末には仕事納め後オールナイトのイベントに行ってみたりして、そこで自分にも好みがあるんだと知った。大きい音で音楽が鳴っていればそれでいいわけでもなかった。好きな曲がかかればそれでいいわけでもなかった。過去にはじめていったクラブは最悪だった。最悪だったというか、私がそこの客ではなかったというだけの話だった。音楽を聴きに来ている客はたぶん、いなかったんだと思う。

 

ウニクレソンの話に戻る。

15時、オープンの時間に頭バーへ入る。頭バーのキャップ、「頭」と刺繍がほどこしてあり、かなり欲しかった。フットワークの軽いシャイなので東京まではほいと行けても、5m先にある物販棚には行けないのである。人は少なくて「ウニクレソンのお客さんですか…?」と控え目に声をかけられる。何故かチョコをもらう。そこでイベント名「バ以上ひ未満」の意味を知る。バレンタインね!なるほど!そして、なんとなく顔見知りの人たちが集まるイベントなんだろうということもなんとなく分かってきた。場になれるため、まずは酒を入れる。ショットをと思ったが、コーヒー焼酎をメニューに見つけてしまった。牛乳割でいただく。たぶん私よりも若い男の子がDJをしている。近隣との兼ね合いの関係で音量は控え目。ゆるく音楽をききながら、少しずつ集まりだした人々がおしゃべりを始める。いいですねぇ、めっちゃいい空気感ですね~。と思いながらフッ軽シャイは、酒を飲むことしかできない。ショットを注文すると、テキーラかイエガーか選ぶことができた。やった!イエガーで!その後もイエガー4ショット飲んだのか…?覚えていない。ほどなくして、おかださんのDJが始まる。何が流れるのかなとわくわくしていたら、なんとまさかの【 八神純子縛り 】である。笑ってしまった。(ちなみに今、八神純子を聴きながらこれを書いている。いいよね、八神純子。)

書きたいことありすぎて全然まとまらない。疲れたので箇条書きで。俺は取捨選択ができないのでこういう文章を書くときに疲れてしまいがち。

 

・いい香りのウニクレソンが出来上がってくるが、持ち前のシャイで食べにいけず

・主催の人が話しかけてくれて、おいしいウニクレソンにありつけた…!

・名古屋からきたことを伝えるとすごく歓迎してくれて嬉しかった

・男女問わず和気藹々とした空気で居心地よかった

・お酒とソフトドリンクをご馳走してもらってしまった(嬉しい)

・おかださん、イメージと反して大柄だったがイメージ通りかわいい人だった(最高)

・こっそり帰るつもりだったが、皆さんのおかげでおかださんに挨拶できた(感謝)

・特撮縛りで愛知でもイベントをやるらしい、行きたいな(仕事…)

・B to B の意味を教えてもらった(優しい…)

・最初にやっていた若いDJの子が話しかけてくれて感謝

・ライブでもイベントでのその場や人と繋がった気分になれるのはいいね

お姉さんたちがめっちゃ優しくて俺はもう…(泣)

・おかださんの配信が好きだということを伝えることができた

 

 

アルコールはテキーラコークでしめて、あとはソフトドリンクを飲んだりなどした。

最近行った Super friends のライブでも本当に思ったのですが、好きなものに好きだと伝えられることは本当に最高だし、まじでシャイを辞して伝えていきたい。伝えるときに、実際よりもシリアスになりがちなので、適切な熱量で相手や場に好意を伝えられるように今後訓練を重ねていきたいですね。 

 

めちゃめちゃいい日だった。東京、来てよかったな~いろんなものがピッタリはまって、こんなことある!?ってくらい全部がきれいに回った1日だった。

ありがとう東京……

まだまだ再訪したい場所含めていきたい場所があるので、またね、の気持ち。

 

-------------------------------------------------

蛇足

遠い土地に来たときには、元恋人に絵葉書を送ることを半ば習慣のようにしていたが、この日はそんなこと忘れてしまっていた。その後も数回、持ち歩いている絵葉書に何事か書きかけてはみたが、特に投函したい気分にもならず、思い出がもう化石みたいになって生きていた時の感覚のようなものが失われたのだと感じた。不思議と寂しくはなかった。

何を書こうかな

書きたいな~~と思っていたことがいくつかあったんだけど、まだ隠していたい(?)ことや、今は書きたい気分じゃなくなったこととかあって、ブログ書きたいな~~って気持ちだけが残っていて、困った。

最近、東京に行きたいという気持ちが昂じて、東京へ行った。す~~ごいよかったんですよね。でも、そのことはツイッターにもう書いてしまっていて、これ以上言葉をつくしても、今はツイート以上のことは表現できない。言葉を持っていないので。

 

言葉にならない感情というものは、けっこう存在していて、 『 高揚 』 は特にその部類に入りやすい。それでも、伝えたい、伝わってほしいと思ってしまうので難しい。

ブログを書くためにPCを開くまでの間に書こうかなと思っていたことは、性欲のことや元恋人とのこと、あとは仕事のこととか、音楽のこととかだったんですけど、今は全然書く気分じゃないので、書かない。今後もブログとして書くことはないような気もする。とはいえ、例に挙げたうちの半分は書くことになるんだろうなとも思う。

書こうと思っていた音楽の話とは違うんですけど、実はいまムーンライダーズのライブ映像を見ながらこれを書いていて、やっぱいいな~~と思うんですよね。でもいいな~~と思う音楽に規則性のようなものを見出すことができなくて自分の好きな音楽をピンポイントで見つけるのが難しい。

今日、友達とごはんを食べた後、家まで送ってきた。その時に、好きなCDを流していたりしていて。

自分、 superfriends というバンドが好きなようなのですが、これまでの自分の好みからすると、好きなジャンルではないようにも思えるんですよね。時々ふいに不思議に思うんですけど。で、友達に聞かせたくて久しぶり(というほどでもないけど…)に車でCDを流した。そしたらやっぱり、どうしようもなくワクワクしてしまって。それって全然言葉では説明できないし、もちろん理屈も分からなくて。不思議だな~~って思います。でもその、自分ではどうしようもない気持ち、解き明かせない気持ちのこと、私はとても愛おしく(?)思う。

自分ではどうしようもできないことが好き、というのはちょっとギャンブラー気質なのかもしれないなとも思う。

ギャンブル狂いの友達(?)が昔言っていたことが印象的で、「ギャンブルの神髄は自分の力でコントロールすることのできない部分にある。そういう時に、俺たちは祈る。その時に俺にも祈りがあるんだと知る。」みたいな話で。

そいつは場のコントロールをすることに長けていて、かなり頭もよくて、テクニックが必要なゲームだったらたぶん勝ててしまうタイプで。だからこそ、自分の力の及ばない未知の領域に無防備にさらされる、もう祈るしかない状況にどうしようもなく魅かれてしまうんだろうなと思う。

『 氷の上にたつように危なげなことをしたい 』 って歌詞、あるじゃないですか。あの言葉、わたしはことあるごとに思い出してしまう。強くそう思うことがある。私も祈りたいんだろうか。どうだろう。分からないし、いまはあんまり分かろうとも思わないな。

 

--------------------------------------------------------------

ただやっぱり、ギャンブル的な要素はすごく好きなんだと思う。あたりかはずれかはっきりしている時よりも、はずれかあたりか、いってみなくちゃ / やってみなくちゃ分からないときのほうがよくて、つい試してしまう。はずれても楽しいし、あたってももちろん楽しい。

わかりきっているあたりより、何もわからないものの方に、魅力を感じてしまう。