何を書こうかな
書きたいな~~と思っていたことがいくつかあったんだけど、まだ隠していたい(?)ことや、今は書きたい気分じゃなくなったこととかあって、ブログ書きたいな~~って気持ちだけが残っていて、困った。
最近、東京に行きたいという気持ちが昂じて、東京へ行った。す~~ごいよかったんですよね。でも、そのことはツイッターにもう書いてしまっていて、これ以上言葉をつくしても、今はツイート以上のことは表現できない。言葉を持っていないので。
控え目に言っても、今日1日ぜんぶ夢みたいに最高だった。なにひとつ期待を裏切らず、すべてが期待を上回っていた。私が生きている世界は優しくてすてきな人や物事ばかりだ。
— 🍀白詰草のアンバー氏🍀 (@choco_sesami) 2019年2月24日
言葉にならない感情というものは、けっこう存在していて、 『 高揚 』 は特にその部類に入りやすい。それでも、伝えたい、伝わってほしいと思ってしまうので難しい。
ブログを書くためにPCを開くまでの間に書こうかなと思っていたことは、性欲のことや元恋人とのこと、あとは仕事のこととか、音楽のこととかだったんですけど、今は全然書く気分じゃないので、書かない。今後もブログとして書くことはないような気もする。とはいえ、例に挙げたうちの半分は書くことになるんだろうなとも思う。
書こうと思っていた音楽の話とは違うんですけど、実はいまムーンライダーズのライブ映像を見ながらこれを書いていて、やっぱいいな~~と思うんですよね。でもいいな~~と思う音楽に規則性のようなものを見出すことができなくて自分の好きな音楽をピンポイントで見つけるのが難しい。
今日、友達とごはんを食べた後、家まで送ってきた。その時に、好きなCDを流していたりしていて。
自分、 superfriends というバンドが好きなようなのですが、これまでの自分の好みからすると、好きなジャンルではないようにも思えるんですよね。時々ふいに不思議に思うんですけど。で、友達に聞かせたくて久しぶり(というほどでもないけど…)に車でCDを流した。そしたらやっぱり、どうしようもなくワクワクしてしまって。それって全然言葉では説明できないし、もちろん理屈も分からなくて。不思議だな~~って思います。でもその、自分ではどうしようもない気持ち、解き明かせない気持ちのこと、私はとても愛おしく(?)思う。
自分ではどうしようもできないことが好き、というのはちょっとギャンブラー気質なのかもしれないなとも思う。
ギャンブル狂いの友達(?)が昔言っていたことが印象的で、「ギャンブルの神髄は自分の力でコントロールすることのできない部分にある。そういう時に、俺たちは祈る。その時に俺にも祈りがあるんだと知る。」みたいな話で。
そいつは場のコントロールをすることに長けていて、かなり頭もよくて、テクニックが必要なゲームだったらたぶん勝ててしまうタイプで。だからこそ、自分の力の及ばない未知の領域に無防備にさらされる、もう祈るしかない状況にどうしようもなく魅かれてしまうんだろうなと思う。
『 氷の上にたつように危なげなことをしたい 』 って歌詞、あるじゃないですか。あの言葉、わたしはことあるごとに思い出してしまう。強くそう思うことがある。私も祈りたいんだろうか。どうだろう。分からないし、いまはあんまり分かろうとも思わないな。
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ただやっぱり、ギャンブル的な要素はすごく好きなんだと思う。あたりかはずれかはっきりしている時よりも、はずれかあたりか、いってみなくちゃ / やってみなくちゃ分からないときのほうがよくて、つい試してしまう。はずれても楽しいし、あたってももちろん楽しい。
わかりきっているあたりより、何もわからないものの方に、魅力を感じてしまう。