白詰草の花冠

過去の文章を残そうと思いました。全部過去になるからね。

6月17日の雑記

週に何日かをリモートワークにしている。出社する必要のない業務なので、通勤時間がもったいないだろう、という計らいである。合理的。とは思いつつも、自宅で仕事するのってちょっとしんどい。というかメイン業務がカフェだし、私は企画が仕事というわけではないので、1日何か企画につきっきりで頑張るには集中力やスキル、作業の見通しその他もろもろが足りていない。というわけで(?)1日の業務時間を4時間にしてリモートでの業務を2日に分けて、1日分の仕事としている。

時給あたりに対してそれなりの仕事ができていないと罪悪感を持ってしまう面倒な性格をしているので、精神衛生的に割とありがたい。1時間仕事して、集中力が切れたら昼寝して、仕事して、息詰まったら途中買い物に出たり、遊びに出たり、なんなら特急電車に乗って県外に出て作業をしてもいいわけである。

この半日リモートワークがいつまで続くか分からないけど、このリモートワークの中で県外のホテルに行ってデイユースをしたりしたい。外に出る(遠くへ行く)のが好きなので…。

今日明日が半日リモートなので、どこかへ行こうかとも考えたが、このご時世であることと、自分の性格も相まって結局家でだらだら睡眠をとってばかりになってしまった。ここでいう自分の性格というのは、実家の考え方(?)に付随するもので、「必然性がない限り家の外にでることは望ましくない」という謎の思考のことである。家族に許可をとらなければ、外に出てはいけない、と考えてしまう。なんかちょっとおかしい考え方だなとは思うのだけど、ずっと縛られてしまっている。

だから、よく分からないけど外に出たくなったときは「◎◎さんと◎時くらいから△△で遊ぶことになった」という口実を作ったりする。変だな、と思う。だから午前中出勤して、午後からそのまま家に帰らずに「ついでにブラブラしてくる」ほうがよっぽど楽なのである。書いていて思ったけど、「自分だけの気まぐれの予定」は優先されるものではないと思っているのかもしれない。だから「え~、一緒にいてよ」と言われたら家に留まらなければならないような気がするし、「妹と時間合わせて帰ってきて」と突然言われるかもしれない(これは人と遊んでいてもあることだが…)とか不安要素がいっぱいなのである。私は確約された時間が好きだ。安心して、誰にも侵されることのない時間が好きだ。その気持ちが抑えられなくなると、まじで人間と生きるの向いていない…という気持ちにさせられる。

自分の要求を必然的なものとして認識するのがかなり難しいんだろうな。自分の要求が少し周囲の人とズレているという自覚もあるから余計そうなのかも。ほんと、ほんとはどうでもいいんですよ他人とのズレなんて。

何するにも「何するの?」「どこいくの?」「何しているの?」「誰といるの?」などと私に干渉しないで欲しい。何するか決まってません、どこに行くか決まってません、何しててもいいでしょ、誰といてもいいでしょ、何するか決まっていないから・どこへ行くか決まっていないからといって、ないがしろにされていい時間じゃないんです。私は私の時間を守りたい。

そんなとるに足らないことを気にしてしまっているのは自分なんですけどね。

誰にも私のこと知って欲しくないし、誰にも私のこと分かったふりして欲しくない。そういう気持ち、あります。(知って欲しいとは思っているんだろうけど…)

どうしてこんなに不自由な考え方をしてしまうんだろう。それが自分を苦しめていることも分かっているのに。でもそれを疑問に思ったり、変えようとしている自分のこと、全然好きだし認めているので、私のペースで私は日々変わっていくし、それに関しては特に口出しされたくない。こういう閉塞的なところは良くないなとは思うけど、まじで碌なアドバイスをもらったことない。他人との関わりの中で道が開けたように感じるとき、他人は私については一切言及しておらず、それは何気ない一言だったり、仕草だったり、全然関係ない事象や物語だったりする。

全部ただの愚痴なんですけど、これは6月17日の雑記なので……