白詰草の花冠

過去の文章を残そうと思いました。全部過去になるからね。

教科書とレジュメ

お久しぶりです。昨年末、転職したばかりの会社を退職し、無職になって1ヵ月半が経ちました。毎日のんびり過ごしているけど特に焦りもなく、のんびりした毎日に適応しています。忙しい毎日にも、のんびりした毎日にも、ぬるっと馴染んでしまうの「私だな~~」という感じがする。

 

のんびりって時間がいっぱいあって暇でつまんないかと思うじゃん?実際、もともとは「無職期間は新しく買った車で色んなとこいくぞー!」って意気込んでいたので出鼻くじかれた感はある。あるけど、のんびりって時間がいっぱいあって暇でつまんないかというと全然そんなことなかった。ご飯の用意してご飯食べてるだけで1日って普通に終わる。もちろん他にも何かしらしてはいるんだけど(洗濯物とか散歩とか食器洗いとか、母が録画した韓国ドラマを眺めるとか)、食事だけで1日が終わるといっても大袈裟じゃないくらい1日はあっという間だった。

 

予定がなんもない日も、予定を入れた日も、大して変わらない。この「変わらない」が何を比べて変わらないと言っているのか自分の中でぼんやりしていて当てはめる言葉や概念を掴めていないんだけど……変わると思っていたものが全然変わらなかった。現在進行形でびっくりしている。

仕事をしていたとき、私はどうやって日々を過ごしていたの?時間、こんなにあっという間なのに!こんなにあっという間の時間をどう切り刻んで、どうやりくりしていたの?えっこわい!(感想です)

 

1日、あっという間ではあるんだけど、やっぱり余白はあって、その分いままで避けていたこととか気に留めていなかったことに思考がいくようになった。時間空いたから皿あらっとこ~とか、排水溝きたない!(ゴシゴシ)、洗濯物たたも~とか、あっほこりだ~~!(ポイ)、お腹減った!野菜切っちゃお~、おひさまでた!日光あびよ~!(ガチャ)、わー!でかい綿毛だ!、本は本棚に戻す!、このチラシいらないじゃん(ポイ)、毛布ぐちゃぐちゃだ~(パタパタ)、雪だ!写真とろ!、梅だ!写真とろ!、友だちに連絡とってみよ!とかとか……挙げればキリがないけど、前は思いもしなかったことを思うようになった。忙しいな……(書きながら思わず笑った)

 

で、1週間前くらいに部屋の大掃除を始めたんだけど、10年くらい大掃除なんてやってないから、まぁこのままでいいや……で放置されたぐちゃぐちゃが部屋にはたくさん溜まっていた。でもそれを1つ1つ処理していくこと、意外と苦じゃない。(以前なら、まぁ収まってるしここは触らないでいいや……ってなってた)すごく不思議な感じだった。前とあきらかに行動が違うから。自然に手が動いて「えっ!このぐちゃぐちゃほっとかないんだ!」って驚いた。ここまでは良かったんだけど、いま部屋は大変なことになっている。だいぶ物を捨てたはずなんだけど、なんでだか部屋は狭い通路を残して、物が散乱している。加えて、まだ眠っている手つかずの箱もある。(この中に、いやもういいや…って精査せずに色々つっこんだ記憶がある…)

 

そんな状況の中で、ここからどう進めたらいいのかが分からなくなり、作業にも飽きてしまった。もちろんベッドにも多くのものを置いているので、寝る場所がない。(本人はある程度分類をして置いているつもりでいるので、それらを重ねたり束ねたり、どっかつっこんだりすることができない)今夜困るな~~せめて一晩いや二晩このままにさせて欲しい……と思っていたら、タイミング良くその日の晩から父が出張で父の部屋が空いた。ありがたく寝床を借りた。私のベッドより広いのでのびのび寝られる。最高。

 

タイトルに書いた話がまだ出てきてない!(最初に書こうと思ったことが全然書かれないの、あるあるである。なんなら毎回そうだ。)部屋からめちゃくちゃでてくるものの中に、教科書とレジュメがある。捨てられないんですよね。捨てたくない。と思いつついくつかの書籍は処分した。表紙が気に入っているもの、基礎的な知識を確認したいもの(主に生物や理科)についてはいくつか残して、教科書類は捨てた。大学の講義のために購入した書籍は人に譲ることができたもの以外は今のところ残している。いくつかは捨てるかもしれない。

 

レジュメは、教科書より捨てづらい。捨てたくないと思ってしまう。かさばるし見た目もよくないしまとまってないし参照しづらいのに……。レジュメには講師から学生へのフィードバックがあるものもあって、これは得難い、得難いよ……と強く価値を感じてしまう。捨ててしまったらもう買い戻したりできないんですよ……。しかも、その時私が講義を受けていたという自分の記録でもある。ウワーッ!捨てられない!捨てたくない!

 

データ化したら?という案もなしではないのですが、見えないものつまりデータを管理するのがとっても苦手なのでおそらく紛失する。予想がつく。前科もある。目に見える紙の方がまだ管理できる……とりあえずファイリングするところから始めたいな……と思って夕方ファイルを買ってきた。で、ぱちぱちプリントに穴をあけていたら、ずっと探していたレジュメが早々に見つかった。

 

アランの『幸福論』を取り扱った講義だったので、てっきりアランの話だと思っていたらなんとデカルトの話だった。講義本編ではなく「恋は思考できるものなのでしょうか?」という問いに対しての回答だった。

デカルトは雪とは何かについて考えるために雪を待ったと言われる。その線でいけば、恋をしているときに恋について思考するのでしょうね。(要約)」

雪とは何かについて考えるために雪を待ったというフレーズだけが残っていて、めっちゃあの頃の自分に響いたんだなと思った。理解まではまだ距離があっても、何か響く言葉や胸に残る言葉ってありますよね。かみ砕けなくても、感じられる言葉みたいな…。こういうのをなんて言ったらいいんだろう。何かを感知しているんだと思うんだけど……雰囲気が好きとは肌触りが好きな言葉とはまた違うんですよね……

 

この講義、毎回メールで感想的なものを提出していたんだけど、教授はほぼ毎回提出されたメールをプリントにまとめて、プリント上で返信していた。それって相当な労力が必要だと思うんだけど、それがめちゃくちゃ嬉しかったし楽しかった。他の学生や聴講生がどんな感想や疑問を抱いて、教授がそれにどう返すのか。やっぱり大学の講義楽しかったな~と思う。

通うのが辛くなって休学したこともあったけど、その時もなんでか「今は苦しいけど、本来学問は面白いはず」という気持ちはずっとあったし、実際に休学をはさんでまた学問が面白いってまた思えるようになった。どうして「面白いはず」って私は信じることができたんだろう。なんか結構大事なことな気がする……

(休学したときに、休学したら辞めるでしょwって笑ったやつのこと、いまだに根に持っています。許さん。学びを継続するために休学するんだよ~~くそ~~)

 

これは余談ですが(全部余談なのはおいといて!)自分の記憶がいかに曖昧で適当に作られてしまうかということを非常に意識させられることが複数回あり、なんか感心してしまった。根に持ってることも、実は結構記憶が違ったりするかもね。

 

なんか1時間くらいこれ書いてた気がする。びっくりしちゃった。

またね~~~