白詰草の花冠

過去の文章を残そうと思いました。全部過去になるからね。

ただいましたい

彼の肉球は布
隣の方からいただいた端切れのような
触れて寝ます
その毛羽だった手のひらに
幼い、白く細く、ふやけた魚みたいな指を重ねて
自然と、こたつのようにほっぺたがぼわんとあかく灯る

彼を貰った2歳の秋にかえりたい
たくさん食べられないいじわるな妹に大きなおにぎりを
顔に押し付けられた、あの日


地球は、よいところです
私のすんでいた所からは決して蒼くはなかったし、酸素は多すぎるし、エネルギーはオゾン層でねじ曲げられ加工され使える資源も少ないけれど
それでも強すぎる酸性雨に私の弱い肌が爛れることもありません
地球は、よいところです
できの悪い私を許して下さい、パパ、ママ…

重力と湿気に悩まされる彼の毛をそっと上へ撫でてやると
彼のツルピカの瞳の中に、私が遊びに行っていた
その私の瞳の中に彼も遊びに来ていた
彼の中の私の瞳から彼が一粒一粒転げ落ちていった
海水のせいで唇が痛い
なめると、しょっぱいというよりも油物を食べたあとのもったりした水みたいな
塩うがいの中途半端な味がしていっこうに喉は潤わなかった
眠られなくて、多すぎる酸素に辟易

爛れてもいい、コップ一杯の強すぎる酸性雨
パパ、ママ
帰りたい、かえりたいの、かえしておねがい

K先生

「先生、先生、指」

先生は三十路を目前にして未だ独身です
体型のわりに細い指は、とても自由です

渚のアデリーヌを演奏し終わった鍵盤の上をさ迷っているその指をのそのそとピアノの上においた
演奏中にきれいに整えた黒い布が先生の大きな手によって縮む

指のはらをそっとつねる

先生の手はとても自由
だれかきれいな人と手を繋ぐ権利も義務も
だれかきれいな人を抱き締める権利も義務も
持っていないから

親指、中指、人差し指、右手で小指、左手で薬指
また親指に戻る
繰り返すぐりぐり
半円と半円が繰り返す
円になれないぐりぐり

先生には性別がない
加えて今日は元気もない
いつもなら大人の2.3倍きれいな瞳はかげっていた
大人みたいに悩んでいる先生も、やっぱり先生だった

「どうしたの」

ふいな音で頭がキンとなる
先生が悩んだままきょとんと遅れて心配してきていた
呆れてるに近かったかもしれない

「なんか急に指触りたくなりません?」

先生、分かってくれなかった

「あの、ほら、人肌恋しいみたいな」

先生、分かってくれた
さみしそうに、同調するみたいに、目を細めた
すごく年上みたいだった
大人じゃなくて、お兄ちゃんみたいな
そう、私が女の弟で

「指、触ると落ち着くんですよ」

苦笑いが疲れていた
でも少し安心してるみたいだ

「先生の指、癒されますね」
「俺の方が癒されとるわ」

ちょっとした不意討ちだった

「何、悩んでるの」
「色々」

大きく息を吐き出して、
本当に悩んでいるくせに
大袈裟に悩んでるフリをして
おどけてみせる

私は指を触り続けた
先生の指は私の自由

人間の先生は、人間関係というやつでいっちょまえに悩んでいて
カッとなって雑巾掛けを教室叩きつけて木の床を凹ませたことや
のこぎりで、間違って学校の机を切ったことを
学校に秘密にしていた

だれか女の人とうまくいってないようだったけれど、
それはやっぱり彼女じゃなかった

妹?と聞いても秘密にしたがった
何考えとるかわからんとだけ繰り返していた
泣きそうだった、先生が

私は、さみしくなくなって、でも辛くて、同調するみたいに目を細めた
心配して笑うお姉ちゃんのような目だったと思う
先生は長男だけど

先生は苦笑いしていた

とうめいの夏

いかないで、なんて
あなたに言うための価値を私は持っていないのでした

思い出すだけで腹のなかが鉛筆のぐるぐるでいっぱいになる
あの、なつの、おまつり、あなたと、いった、なつの、おまつり、あのこも、いた、なつの、おまつり

さみしかったのです
あたまがふわふわして
あなたとうまくはなせなかった
ずっととなりで話し続ければよかった
あなたを離さなければよかった
どうしてだか、
あなたのとなりに、わたしがいなくなって、とても、さみしかったのです
つたないと、わかってはいます
いつもとなりにいたのに
手もつなげない
そのことにもどかしさを感じていた
それはわたしだけですか

まっくらい夜道のなか、ひとり、浴衣で
紺の浴衣と白い鎖骨が夜に染み込んでいきそうなのを
堪えていました
呼吸をとめて、あなたが振り返るのをじっと待っていました
時折みえる横顔は、優しく、あまり見ないもので、私は鉛筆のぐるぐるに巻き込まれて千々に、ちりぢりに
夜のなか、透明はどこまでも透明で、だれにも気付かれることなく、白い鎖骨をこぼれ、胸の間をゆるやかに渡って全身をまっさらに冷やしてゆきました

透明は体にうつります
私を透明にします
私は澄んだ夜に溶け
鉛筆のぐるぐるが
水にひたしたそうめんのように
ちりぢりにほどけて
いつのまにか
なにもない
透明だけ
夜と同じ、透明だけ

自販機の白い光で
私だけが残る
白いうなじと淡く光るうぶげ

いつのまに、

みんな蛾のように
自販機の前で止まっていました
うようよと前後し、前に行ってボタンを押しては右や左にずれ、まただれかが前に行って
だれがだれだか分かりません
鉛筆の、ぐるぐる
あなたは自分のためではないボタンを押して
ガコンと、空からタライが降ってきた音に打たれ
頭を地面にこすりつけて
無作法にも自販機の口に手をつっこんだ


手を引き抜いたとき手首から先がありませんようにと何度か願いました


またしばらく歩くと
夜がくっついてきて
私はうん、うん、とうなずきながら
透明に、
水に浸したそうめん
まっさらでさみしい
下駄はまだカンコンと音をたてて
規則正しく
しばらく聞き入っていると
あなたのとなりにいて
なんだかよけい、さみしかったのです
透明が夜になって私のまわりをかこっていく
あなたはそっと話しかけてくる
透明が色を持って私になっていく
鉛筆の、ぐるぐる、が
消しカスのようにぼろぼろとちぢれている

いかないで、そんなことも言えずに、鉛筆のぐるぐる
そばにいて、そんなことも言えずに、夜に呼吸する

小さな公園に着いて
手持ち花火を広げる
私は一人木馬に座る
おおきくゆれるたび
夜にまかせて透明が
溶けて夜になりたい
一人でいるといつも
あなたがそばにきて
他愛もない話をする
私はそれを待ってた
あなたが一番に来る
溶けきらないように

あなたがそっと寄ってきて花火、やれよ、やだ、せっかくだろ、いやだ、もってきたるから、いらない、ふつうのでいいよな、…、ほら、…
あなたから火をもらう
辺りがいっぺんに明るくなって私の頬に色がうつる
少しでも、美しくみえないでしょうか
いまさら、遅いのですが
あなたがくれた花火はしけっていたのか
すぐに、終わってしまいました
すぐに、終わってしまいました
すぐに、
透明が唇を濡らした

あなたとあのこが、花火の片付けに公園に残り
私は一番に横断歩道を渡りました
全部、嘘になるように祈りながら
みんなを待つふりをして
あなたを待ちました
あのこが溶けてなくなっているように祈りながら

下駄の緒が真ん中から外れていました
誰にも気付かれず駅まで裸足で歩きました
アスファルトも夜に染み込んでいて
私をそっと透明にひやしてくれました

本当に夜になれたらいいのにね、と、紺色の浴衣が私に向かってないていました


ぷちん、

ぷちん

かかと 扇風機 麦茶

私は自宅のパソコン画面をぼんやりと見つめていた。なにかしら考えていた。椅子の上にあげた、右のかかとをずりずりと左の手の平で無意識にころがしながら、私宛てに送られてきた、その「語」を眺めていた。
どうしたものか…

わたしたちは、ネットで繋がっているコミュニティのうちのひとつである。
毎月2日に、その「語」が送られてくる。
3つの「語」。それらを使ってわたしたちは、なにかしら描く。
わたしたち、と言ってもわたしたちがどんなだか、わたしたちは知らない。何人いて、どんな風体で、何を好み、何を生きているのか。
つまり、わたしたちは「わたしたち」でしかなくて、その内容をよく知らない。

…知らぬまにざらついたかかとのあたりに溜まっていた視線を、再び画面にそそぐ。
送られてきた、その「語」を、緩慢な指でカタ、カタカタ、カタ、と反復する。

 かかと
 扇風機
 麦茶

    かかと、
    扇風機、
    麦茶、


この語を選ぶのはわたしたちだ。だけど、今回は私ではなかった。
マウスの奥においた汗をかいたグラス。そこに入っている麦茶を口の中でころがす。
とけ残りの小さな氷が、犬歯にあたって、カチっと音を遺して消える。
グラスの中には、まだある程度の大きさを持った氷がいくつか泳いでいた。
そいつを口に含んで、奥歯できゅうっと潰す。きゅうきゅう呻きながら、そいつは、小さく萎んでいく。

ガリ

萎みきるまえに、そいつは割れてしまった。そして、かみくだくまえに、消えてしまった。
奥歯に優しい冷たさだけが遺される。この、冷たさも、すぐに消えてしまうのかな。
この奥歯にのこされた温度、この犬歯にのこされた音。この手の平にのこされた、かかとのざらつき。
わたしたちはわたしたちの感触を確かめ合う。
わたしたちが何者かは知らない。幾度となく繰り返される月に一回の文字を遺す作業。
消えていく、うもれていく3つの語。
わたしたちは確かめ合う。だれとも知れないわたしたち。

と、いきなりパソコンの電源が落ちた。背筋にあたる強めの風も勢いをなくし、カタ、カタカタ、と渇いた音を遺して止まった。
また、祖父が部屋でクーラーと扇風機2機をつけたまま、テレビを見、電気ケトルを使い、暑いキッチンで祖母が料理に精を出していたのだろう。ブレーカーが落ちたのだ。祖母の拗ねた顔が目に浮かぶ。祖父がブレーカーをなおしに席を立つ音がする。いつも通り、少し手こずるのだろう。

クーラーのない私の部屋は、風がないのは正直つらい。窓をあけに、パソコンから離れる。錆びてかたくなった鍵を手の平で叩きながらゆする。窓をあける。
網戸の隙間を通って、申し訳程度の風がささやかにカーテンを揺らす。
風はたえず吹きつづけていたのだ。

白い空に浮かび上がる、電線の黒い筋を目で追っていると、しばらくしてブゥン…と音をたてて、また強い風が吹きはじめた。

紙飛行機(ステルスエアメール)

今日が、何の日だか知っていますか。今日はエアメールの日です。2月18日エアメールの日。何故か,あまりにもたくさんのエアメールが飛び交う2月18日火曜日。これだけたくさんのエアメールが飛び交う日ですから,事故もおこります。こうしてここへ来たエアメールたちは,だれかのもとへ届くことなく,ここでその生涯を終えます。

1911年,明治44年2月18日,日本に初めてのエアメールが届きました。6000通ものエアメールが,日本へ一直線に飛んできました。冥王星からです。「わたしです。ここにいます。」とその6000通のエアメールには書き記されていました。何故あの文字がそう読めたのかはわかりません。「ここ」がどこなのか,いつ送られたものなのか,わたしたちには皆目見当もつきません。冥王星から日本へ飛んできたエアメール。何かに見つからないように,そのエアメールは空を真似ていました。ステルスエアメールです。しかし残念なことに冥王星を発見したのは,彼らがエアメールを送った相手ではなく,アメリカ・ローウェル天文台のクライド・ボーンでした。1930年,昭和5年のことです。何の因果か,これも2月18日,あのエアメールが初めて届いたその日でした。エアメールが届いてから29年。15等星というその小ささから,こんなにも発見に時間がかかってしまいました。1月23と1月29日に撮影した写真の比較研究から発見されるに至った太陽系第9惑星。1911年の2月18日から,アメリカに発見される1930年の2月18日までの29年間,数を減らしながらも,毎年かかさず,そのエアメールは日本へ届けられていました。

「もういません。」

1930年2月18日に届いた213通のステルスエアメールにはそう記されていました。冥王星から日本に届いたエアメールはこれが最後です。
 ここには,毎年2月18日に,多くの傷ついたエアメールたちが迷い込んできます。飛行途中に撃ち落とされたエアメールたちです。最初の年はここにくるエアメールは0でした。こんなに丁寧に折られたエアメールが自ら道を失い,迷うことなどめったにないのです。

「わたしです。ここにいます。」

1930年以降毎年変わらずここにくるエアメールたちにもたった一つだけ変化がありました。2001年,国際天文学連合によって冥王星Dwarf Planet矮惑星)とされる5年程前から,彼らの尾翼に小さな模様が描かれるようになりました。一つ一つ違う模様ですが,そこからは規則性がうかがえます。2001年から描かれるようになったこの模様は,おそらく通し番号のようなものであることが分かってきました。
今日も,撃ち落とされた19通の精巧なエアメールたちがここに迷い込んできました。しかし,この模様によれば,今年は20通のエアメールがあちらから飛ばされているはずであることが分かります。残りの1通は無事に着陸することができたということです。
 あなたは,そのエアメールを探すことができます。読むことができます。私にはできません。無事についたものを,私は読むことができません。無事についた喜びを私はかみしめることができません。無事たどり着けなかった無念と悔しさを憐みで見つめることしかできません。
 どうか無事についたその20通目のエアメールが優しい誰かに読まれることを祈っています。