白詰草の花冠

過去の文章を残そうと思いました。全部過去になるからね。

K先生

「先生、先生、指」

先生は三十路を目前にして未だ独身です
体型のわりに細い指は、とても自由です

渚のアデリーヌを演奏し終わった鍵盤の上をさ迷っているその指をのそのそとピアノの上においた
演奏中にきれいに整えた黒い布が先生の大きな手によって縮む

指のはらをそっとつねる

先生の手はとても自由
だれかきれいな人と手を繋ぐ権利も義務も
だれかきれいな人を抱き締める権利も義務も
持っていないから

親指、中指、人差し指、右手で小指、左手で薬指
また親指に戻る
繰り返すぐりぐり
半円と半円が繰り返す
円になれないぐりぐり

先生には性別がない
加えて今日は元気もない
いつもなら大人の2.3倍きれいな瞳はかげっていた
大人みたいに悩んでいる先生も、やっぱり先生だった

「どうしたの」

ふいな音で頭がキンとなる
先生が悩んだままきょとんと遅れて心配してきていた
呆れてるに近かったかもしれない

「なんか急に指触りたくなりません?」

先生、分かってくれなかった

「あの、ほら、人肌恋しいみたいな」

先生、分かってくれた
さみしそうに、同調するみたいに、目を細めた
すごく年上みたいだった
大人じゃなくて、お兄ちゃんみたいな
そう、私が女の弟で

「指、触ると落ち着くんですよ」

苦笑いが疲れていた
でも少し安心してるみたいだ

「先生の指、癒されますね」
「俺の方が癒されとるわ」

ちょっとした不意討ちだった

「何、悩んでるの」
「色々」

大きく息を吐き出して、
本当に悩んでいるくせに
大袈裟に悩んでるフリをして
おどけてみせる

私は指を触り続けた
先生の指は私の自由

人間の先生は、人間関係というやつでいっちょまえに悩んでいて
カッとなって雑巾掛けを教室叩きつけて木の床を凹ませたことや
のこぎりで、間違って学校の机を切ったことを
学校に秘密にしていた

だれか女の人とうまくいってないようだったけれど、
それはやっぱり彼女じゃなかった

妹?と聞いても秘密にしたがった
何考えとるかわからんとだけ繰り返していた
泣きそうだった、先生が

私は、さみしくなくなって、でも辛くて、同調するみたいに目を細めた
心配して笑うお姉ちゃんのような目だったと思う
先生は長男だけど

先生は苦笑いしていた