白詰草の花冠

過去の文章を残そうと思いました。全部過去になるからね。

これまでの記録 演劇のような何かしら

残業もなくシフトも比較的自由で有給のある職場に転職することができたので、また何かしらの活動を再開したいなと思っている。(前職でも何かしらの活動をしていたことはあったが、心身共に負担とリスクが大きすぎた。実際、本番当日に血尿を出して、痛みと恐怖に耐えながら舞台に立ち出血がひどくなったみたいなことがあった。降板しなくて本当によかった……)

 

でも、今までどうしていたのか全然分からなくなってしまった。全然分からなくなってしまったは言い過ぎだけど、、、そんなこんなで今までの活動をまとめようと思ったのでした。

 

ちゃんと記録していないので、少しずつ追記していくことになると思う。

なんかまとめているうちに、動き出せるような気持ちになってくるような気がする。

 

まにまに(かしやま+桜子+野呂有我)+後藤まな 「夢から覚める時のイメージ」 2015.1.26

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確か公演の2、3週間前くらいに声をかけられて出演することになった。本当はテキストを書いたかしやまさん本人が朗読をするつもりでいたが、テキストが出来上がってみるとかしやまさんが朗読するにはちょっとイメージが違った…みたいな話だった気がする。不思議なことに、ここから私たちは一緒に活動するようになるのであった……

内容は、まさにタイトルの通りで、夢から覚めるとき、夢と現実の狭間で、どちらにも存在している身体(感覚)と思考について思考するみたいな内容…だったと思う。

我有さんが作る音の中に声を落とす行為は、

なんか、バンド(?)みたいだなと後から思った。

 

その前にもバンドみたいな形式でやっていた作品はあって、ただそれは楽器として入ったみたいな気持ち(?)なので、自分が出演したとか参加したという感じが薄い。

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この時は確か、なんだか忙しくしていて、でも誘ってもらって、中途半端な形で入ってしまったような記憶がある。強い圧の出せる人たちばかりだったから、自分だけ浮いているような感じがした。でも、それもまた作品としての味やんねと思うようなところもあって(だから誘われたと思っているし)やや居心地の悪い気持ちがしながらもそこにいた。教室ってそんな感じあるよね(?)

 

この孤独部は、かしやまさんというひとが一人でやっているユニットで、都度メンバーを集めていた。就職して京都に行って、いろいろあって、名古屋に戻ってきたかしやまさんが、名古屋で公演を打とうとしたとき、私は名古屋大学の演劇サークルに入って間もない頃だった(と思う)

かしやまさんはそのサークルのOBで、稽古に立ち寄って私たちに「ピアニカが欲しんだけど持っている人いない?」と問いかけた。ピアニカをそれなりに丁重に保管していた自分は、かしやまさんにピアニカを提供することになり、そこから交流が始まる。ピアニカを届けにいったか何かのとき、かしやまさん宅へ初めて伺う。越してきたばかりのはずなのに(だからか?)、かしやまさんの自宅は部室のようになっていて、缶バッジを作ったりした。その後さらに色んな人たちが何か活動をするために集まる部室のような雰囲気が濃くなっていき、かしやまさんはどこで生活しているんだろう…この人にプライベートはあるんだろうか…などと思ったりした。かしやまさんの話が長くなってしまった……でもかしやまさんがいなければ、ライブハウスにかかわったり、こんな風に音楽に関心を持ったり、創作活動(?)をしたりすることはなかったと思う。

ピアニカがきっかけで、かしやまさんが名古屋に戻って1回目の公演『学生』に出演することになる。たしか総勢25名の大所帯で、楽屋には人が入りきらなかったんじゃないだろうか。出ハケなし、自分の出番でないときは舞台の隅で体育座りをして舞台を眺めるという形式だった。その時、自分はチケット管理と役者を担当していて、持ち前の真面目さでチケット管理をやりきり座組からの好感を得るなどした。(その頃の名古屋小演劇場演劇界隈からするとまじで券種が多かった)エクセルに感謝。

検索したけれど、その時の映像や写真がすぐでてこなかった。また見つけたら追加しよう(忘れるやつやね、これは)

 

この舞台がきっかけで、星の女子さんという劇団と関わりを持つことになった。当時の恋人の部屋で、電話を受けた。電話が鳴るのはめちゃめちゃ珍しいので怖かったけど、出た。大学サークルの先輩だった。彼女は大学卒業後(だっけ?)星の女子さんに所属していた。彼女経由で、星の女子さんの公演参加の誘いをもらう。演出の渡山さんが孤独部『学生』をみて、いいなと思ってくれていたらしい。舞台をみて、舞台に誘うなんてことあるんだ…!とまじでびっくりしていたし、丁度その劇団の舞台を見て「すごい!いいな~~!」と思っていたところだったのでひっくりかえった。震えた。その際アンケートに本名を記載していたのもよかった。(学生に出てたあの子じゃん!って見つけてくれて、先輩がその子後輩ですよ~と言ってくれた…という流れがあったらしい。名前を憶えてもらえるだけでクソ嬉しいですよね)

(もう活動のまとめではなく思い出話になってんな。続けます)

大学サークルで雑用をバリバリにこなし、勝手に一人でタスクを背負いまくって疲弊していた私は、(周りに頼れなった私が悪いが、絶対にあの環境はおかしい)この星の女子さんで社会人劇団の素晴らしさを知ることになるのだった……

座組のみんなが、ちゃんとそれぞれの部署の仕事をこなしていて、それぞれの管轄があり、分担していた。そして何より、みんな仕事ができた……皆さん働いているから、ある程度当たり前のことなのかもしれないけど、感動した。私を犠牲にしなくていいんだ……役者や自分のことに専念していいんだ……ということが最高に嬉しかった。

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正確にはこれは星の女子さん単独の公演ではなく、北村想さんが脚本を書かれたコラボ公演だった。(北村想さんに関しては、なんかすごい人と認識していたのでびびった。)音楽も、ちゃんとその舞台用に作っていたし、ちゃんと舞台写真も撮るし、DVD用に録画もするし、立ち位置や見せ方にもこだわる時間があるし、(学生劇団のときは、人間関係のゴチャつきや配役への不満、出欠の不安定さなどからそういう当たり前のことができなくて激しい不満を感じていた)ちゃんとできることにめちゃくちゃな感謝しかなかった。最高。関わる人たちもみんな素晴らしかった。稽古のことはほとんど覚えていないけど、北村さんが来られた時に「胸をちゃんと張りなさい」と注意されたことはめちゃくちゃ覚えている。当時あまり自覚していなかったが、本当に姿勢が悪かったのでぐいっと背中を押されて少し痛かった。

(そういえば、めちゃめちゃ好きだった元恋人に振られる日に1人で見た芝居は北村想さん脚本『寿歌』だった。観劇をドタキャンされて野外劇場のトイレで声を殺して号泣していた(ドタキャンに関して、気持ちをはぐらかされていると感じていたため情けなくて惨めだった)けど見終わったときには、本当に見に来てよかったと思った。1人のつもりではきっと見に来られなかったから、約束も無駄じゃなかったと思えた。)

その後も、ドール3部作の2部ワラドールに呼んでもらったり、当日制作などのお手伝いでその場に参加したりさせてもらっていた。

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謎にそれっぽい田舎訛りが好評だったことを記憶しているが、この舞台の打ち上げでは泣いた。笑いたくない場面で、笑ってしまって、そのことを指摘され悔しいやら情けないやらムカつくやらで泣いた。メタ的な要素を多分に含んだ舞台だったので、多少そうしたブレが出ることは良しとされていたのだと認識していたけれど、舞台上で他の役者に笑わされたことが、自分でコントロールしきれなったところが負けたようで悔しかった。外へ出て、コンビニで100円の水を買って、一口のんであとは全部コンクリートの歩道に流した。

 

続き(?)はまた後々書くことにして、3,000字超えたのでそろそろ一旦公開してしまおうと思います。