白詰草の花冠

過去の文章を残そうと思いました。全部過去になるからね。

夢にみる、ということ

私はよく、夢をみます。眠るときの夢のことです。怖い夢でも悲しい夢でも楽しい夢でも、夢をみるのは楽しいことです。
だけど困ったことがひとつあって、それは現実には起こっていない出来事の記憶や感覚が蓄積されていくということです。

夢の中でしか会えない人がいます。これは、亡くなってしまった人などではなく、現実には存在しない人です。そういう人は何人かいて、でも、現実まで干渉してくるくらい私の中で一人の人物として認識されたのはたぶん一人だけでした。
夢をみないと会えないし、夢をみたところで必ず会えるわけでもなく、彼のいる世界線の夢にアクセスできなければ姿をみることもできない。
だけどどうやら彼は夢から少し外れてしまったようで、夢と現実の間、うとうとしているとき、現実の景色に重なるようにあらわれるようになりました。
会えなくて寂しい、こちらから連絡をとることもできない、次に会う約束もできない。この関係性にはそういう困りごとがあります。
とはいえ、これは対して困ることでもないのです。

それよりも困るのは、現実の知人が夢にでてくることです。夢の中で知人に会って、色んな体験をします。だけどその体験を持っているのは私だけで、私の中でだけ、知人との関係が進んでしまいます。
現実に起こった出来事ではないことは認識しています。だけど、体に残った感覚や感情はなかなかもとに戻すことが難しい。
相手に対する感覚や感情は粘土のようなもので、何かの影響を受けて変わってしまった形を指定の影響を受ける前の状態に戻すことはできない。そういうことなんだと思います。
夢に見る前、私と知人の関係はどうであったか?それを覚えていたとしても、私の持っている粘土はもう形を変えてしまっているので、戻そうにも無理が生じてしまいます。

ため息がでちゃうな。
初めてスマホで記事を書きました。