白詰草の花冠

過去の文章を残そうと思いました。全部過去になるからね。

惰性でいいので、更新してみる

少し前から、お弁当にスープを作り始めた。作り始めて1週間経ったころ、母が夕飯にスープを作り始めた。

「明日スープ持っていくでしょう?これ入れていっていいよ~」

母の「○○していいよ」は「○○して」とほぼ同義である。とはいえ、優しさでしかないのだが、私はその日の気分で、その日のスープを作って昼に食べることに価値を見出しているのであって、スープを持っていくことに価値を見出しているのではない。節約のためでもあるが、それはきっかけであったりついでであったりするものであって、私の行動の本質ではない。

スープがあるのに、新しくスープを作ることは母に対する宣戦布告のようなものになってしまうので持っていくなら母の作ったスープを持っていかなければならない。でも私はそこに価値を見出せないし、お昼に食べる気がしない。普通にありがたい話であるはずなのだけど、自分の価値の見出し方に少しの偏りと融通のきかなさがあるため、超しんどい。

1日ならよかった。よかれと思ってなのか、スープ作っている娘に触発されてなんとなくスープ制作意欲があがっているのかは分からないが、それが3日以上続いた。私がスープ作るを辞めるのには十分な期間だった。やりたいことをやろうとしてやれないことがストレスだから、やろうと試みることを辞めるというのは私の行動パターンでよくある。なんで自分以外の人間に自分の行動を誘導されなければならないのか分からない(正確には分からないわけではないが)ので、阻害されただけで全部嫌になってしまう。やろうとすればできる、という人もいるだろうけど、そういう話ではない。終始気軽な気持ちで、思い付きで行動したい、そういう類のものの中に属しているのだ、スープ作りは。軋轢なく理解を得ることもできないだろうし、そんなことで揉めたくない。

私にとって私のことは「そんなこと」なんだろうか?本当はきっと違うんだけどな、「そんなこと」として処理しようとしてしまう。

 

15分~20分程度で書けたので満足した。